コラム

日記(2020年8月7日)肥振りとジャンボタニシ/七人の侍/市民ケーン

日々

肥振りとジャンボタニシ

夕方、背負い式散布機で田んぼの肥振りをする。散布機というのは、ゴーストバスターズのゴースト捕獲装置を想像してもらえばいいだろう。(まぁ、実際はちょっと違うけどね)
溝のふちや、稲の茎の部分に、ちらほらとジャンボタニシのピンク色の卵が産み付けられていた。目に痛い原色のピンクである。水田の中に目をやると、当のジャンボタニシが蠢いている。貝殻から軟体の部分が覗いており、確かに生きていることがわかる。

ジャンボタニシは水稲に食害を起こす有害外来種であるが、除草という思わぬ作用をもたらして、農作業の手間を省いてくれる側面もある。(田植え後二三週間は若い苗を食い荒らす恐れがあるが、その後はそんなに怖くないのだ)ヒエや雑草だけを食べてくれるのだとしたら益貝にもなり得、実際意図的にジャンボタニシを導入する農法もあるようだ。(環境省非推奨)

付近の村々では既にジャンボタニシが蔓延してしまっているので、食害を避けながら上手く利用し、共生していくしかない段階にあるのだと思う。

トピックス

七人の侍


Amazonプライムレンタルで視聴。古典にしてそのジャンルの頂点に位置し続ける作品は稀に存在する。見てしまうと「その年に見た一番よかった映画は?」の答えがこれになってしまう作品。昨日は「素晴らしき哉、人生!」を傑の作と書いたが、その数段上の面白さである。

市民ケーン


さて、こちらも古典名作のひとつであるが、現代の目から見てそんなに面白いと感じられる作品ではない。

新聞王ケーンの死から始まり、今際の際に発した「バラのつぼみ」という言葉の謎を解くために記者が彼の人生を辿っていく――という構成は現在では目新しいものではない。(とは言え、一度は使ってみたいプロット立てではある)

ケーンというキャラクターに共感を持てるか?と問われると難しいと答えざるを得ない。タイトルが「市民ケーン」だから、貧乏なところから努力で成り上がる的な話かと思えば、金持ちのところに養子に出されて最初から膨大な資産を持っているというイージーゲームの話だからだ。大金持ちの孤独というのは、多くの人にとっては興味深いテーマとはならない。

しかし、歴代の映画人たちがこの作品を高く評価する理由はわかるような気がする。批判的人物評伝映画(あるいは現実のパロディ)としては傑作だからだ。「バラのつぼみ」の意味は作内ではある程度明確に示されるが、作外での意味も持っている。メタ性、二重性、権力批判のスマートさ、いたずら心に拍手を贈りたい。