コラム

日記(2020年8月11日)雨に唄えばなど

日課

ウォーキング&リスニング

早朝、播磨中央公園を一時間ほど歩く。バラ園も覗いていこうかと思ったが、開園は九時からで外から眺めるよりなかった。

「八日目の蝉」(角田光代)は、比較的早い段階でエンジェルホームを脱出して驚いた。よい設定、舞台なので大きな「転」が来るまでは出ないのかと想像していたからだ。誘拐→→友人の家→→居候→→エンジェルホーム→→小豆島……というところまできている。いい意味での予想のつかなさがリーダビリティをくすぐる。

映画

雨に唄えば


Amazonプライムビデオで視聴。
無声映画からトーキー映画(発声映画)への過渡期を生きる俳優たちを描く、痛快お仕事映画。ダンス、歌といったミュージカルの素晴らしさは圧巻だが、ストーリーには少々残酷な側面も隠されている。

無声映画の大女優リナは、歌も踊りもできず、キンキン声でトーキー映画へと変わっていく時代の流れについていけない。彼女に傲慢な振る舞いを続けさせ、ラスト付近に悪い企みをさせることによって、主人公たちが彼女をパージすることを正当化している。彼女のほうに感情移入できないシナリオ立てにすることで、心地よいエンタメ映画として成立している。

一方、主人公のドンのほうは、元々培ってきた芸とアイデアによって、見事にトーキー映画への順応を果たす。リナの敗因は「傲慢さ」「時代に適応しようとしなかったこと」などではなく、時代そのものにあった。リナの才能はトーキーの時代では生き残れない類のものであったのだ。

才能と時代について考えさせられる映画だった。(痛快なコメディ・ミュージカル映画として見るのが正しいのだと思うけれども)